2022.11.16
人生は選択の連続である
こんにちは マネージャーの多田です。
今回は先日宮ノ前横丁でお話しした内容から、お伝えしたいと思います。
宮ノ前横丁とは、毎週金曜日の終業後、ナカヱのメンバーが各自のアウトプットを目的とし、自由な内容で話したり、何かをしたりする場です。
人生は選択の連続である シェークスピア
昨年末に「家を買う」という大きな選択をし、今年になって引越して早11ヶ月がたちました。
大阪からこの印南へ移住してからずっと借家住まい。
特に一番長かったのは駅前の町営団地で、ここで20年を過ごしました。
ここはとても利便性が高く、子供たちの通学にも便利なところであり、家賃も安く、そして何よりもいづれは大阪に帰りたいという思いもあり、なかなか家を買うというまでには至らなかったのです。
しかし、子供たちも家を離れ、また仕事の関係上印南を離れることは現実的でなく、そこで拠り所となる家がほしくなり、ここ3年ほど何となく家を探し始めました。
今の家はたまたま夫がネットでみつけたのですが、見学に行き、玄関に入ったとたんに「ここは私の家!」と直観して、あとはかなりの早さで購入までに至りました。
今はこの家が好きすぎて、感謝の毎日です。
このような大きな選択だけでなく、私たちは日々多くの選択を、そして決断をしながら生きています。
そして、選択・決断を積み重ねてきた結果、今の自分を形成しているのです。
高校生ぐらいの時に、「毎日何百もの選択をしている」といった新聞記事を読んで、ウソでしょう!と衝撃を受けたことを覚えています。
でも 朝何を食べる? どの服を着る? 靴は右足から履く? といった小さなことも意思を持って選び取っているんだと思うと、それも納得できます。
しかしながらその当時は、毎日そんなに選択しているからって何になる?と思っていました。
どう選択しようと毎日は平々凡々に過ぎていくと。
でもそうではないのです。
病気になって普段の健康のありがたさがわかるのと同じように、
逆境になって初めて平々凡々がいかに貴重なものかわかるのです。
日常の些細なことの選択が将来の自分の姿を大きく変えることになるかもしれない。
選択したことによって、行き着く先が変わってしまうかもしれないし、結局は定められたところにたどり着くのかもしれない。
今の自分が最短ルートでたどり着いた先なのかもしれないし、紆余曲折した結果、たどり着いたのかもしれない。
どちらであれ、その時々の選択に自分自身が納得してこそ、今の自分にしっかりと責任をとれると思っています。
チャンスの女神は前髪しかない
女神が通りすぎれば、もう掴むことができない。
次はいつ来てくれるのか わからない。 次がない かもしれない。
よくよく考えて決めなければならないとしても、ぐずぐずはできないのです。
そう考えると、1つ1つの選択は 的確に かつ スピード感をもって決めていかねばなりません。
私の娘は服を買うとか、何かを買うという時、いつもいろいろな店に行っては迷って、取りあえず保留を繰り返し、決めるまで結構な時間がかかっていました。
最初はそれに付き合っていたものの、「本当にほしいときは迷わないよ。迷っているということは本当にほしいものではないんじゃないの?」と私がいったことに納得したのか、今ではかなりはやく決められるようになりました。
私は自分の直観を大事にしています。
直観とは 今まで経験してきた事柄を瞬時に取り出し、組み合わせてアウトプットされるものと考えます。
おそらく、頭の中でいろいろな仮説・検証が同時に走り、ポンとでた結果だけが意識に上るといった感覚です。
決して口からのでまかせや行き当たりばったりのものではないのです。
私は物事を決める時、たいてい直観的に決めています。
ただ、直観には精度の高低差があり、直観の精度を上げるためには、その元データとなる経験をたくさん積むことが不可欠です。
私は、できるだけ美しいものを見ること。絵画、陶器、美術、音楽、文章に触れること。
本物を見抜く目を養うこと。 こういうことをこれからも心がけていきたいと思っています。
心を柔らかく 脳をやわらかく 新しいものを取り入れ 感動するこころ 感謝するこころ を持ち続けていきたい。 と思います。
40才をすぎ、老眼のきざしが見えはじめたころ
先生から これから諦めることが増えてくる と言われました。
確かに身体能力も、容姿も、知的活動にも衰えが現れることは抗えないことです。
でも 諦める というよりは、ポジティブに受け入れると、今まで変に力が入っていたことがとれて、生きやすくなってきます。
人事を尽くして天命を待つ
自分の力だけではどうしようもないことがあります。
またどんなに努力してもなしえないことも多いです。
でも、自分にできる限りのことはやりきって、あとはなるようになる ならなかったらまたその時に考えればいい これが私の生き方の1つです。
では、また。